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火と花の狭間に 第五章「鈴葉の罪」|裏切りの告白と黒幕「主」の正体に迫る戦国和風ファンタジー

2026年7月1日水曜日

サブカルチャー ブログ 生成AI

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火と花の狭間に

第五章 鈴葉の罪

 鈴葉が調べた結果を持ってきたのは、翌朝のことだった。

 朱音の部屋に入ってきた鈴葉は、いつものように明るく振る舞おうとしていた。しかしその笑顔は、少し薄かった。目の下にうっすらと翳がある。眠れなかったのだと、朱音にはわかった。

 「書き留めてきました」と鈴葉は言い、畳んだ紙を差し出した。「この一月、書斎に出入りした方々の名前です。思い出せる限り」

 朱音は受け取り、広げた。

 家老の名前、近習の名前、文書を届ける使番の名前。見知った顔ぶれが並んでいた。

 そして、リストの末尾に、一つだけ、どこか筆跡が違う文字があった。

 朱音はそれを、二度読んだ。

 「鈴葉」

 「はい」

 「これは、誰だ」

 鈴葉は少し間を置いた。

 「……行商人、と名乗っていました。月に一度、書斎に薬草を届けにくる方です。半年前から」

 「父上が薬草を取り寄せているとは知らなかった」

 「持病の薬だとおっしゃっていました」

 「父上に持病はない」

 鈴葉は、黙った。

 朱音は紙を膝に置き、鈴葉を見た。

 「その行商人の顔を、覚えているか」

 「……はい」

 「どんな人物だった」

 「五十を少し過ぎたくらいの、痩せた男でした。左の手の甲に、火傷の跡がありました」

 朱音は、その特徴を頭に刻んだ。

 「鈴葉」

 「はい」

 「その男と、話したことがあるか」

 長い沈黙が落ちた。

 朱音はその沈黙の中で、答えを待った。急かさなかった。急かせば、鈴葉は閉じる。第四章の夜に蒼介が言った言葉が、耳の奥で響いていた。——追い詰めるな。まだ。

 やがて鈴葉は、膝の上で手を組んだ。

 「……ございます」と、小さな声で言った。「話したことが、ございます」


 鈴葉が話し始めたのは、ゆっくりと、しかし止まることなく続いた。

 半年前、鈴葉は砦の裏手で、その男と出会った。男は道に迷ったと言い、書斎への道を尋ねた。鈴葉は案内した。それだけのことだったはずだった。

 しかし次の月、男が再び来たとき、鈴葉を名指しで呼んだ。

 「お前の兄のことを知っている、と言われました」と鈴葉は言った。「兄は三年前に、賭場の借金で人を傷つけて、逃げています。私はずっと、そのことを……」

 「知っていた」と朱音は言った。鈴葉の兄のことは、ずっと前から知っていた。「それで」

 「男は、兄の居場所を知っていると言いました。役人に引き渡すこともできると。そうなれば、兄は……」

 鈴葉の声が、かすれた。

 「だから」と朱音は静かに続きを引き取った。「何かを頼まれた」

 鈴葉は頷いた。一度だけ、小さく。

 「書斎への出入りを、報告するように言われました。誰が来たか、何が運ばれたか、どんな書状が届いたか。月に一度、男が来るとき、私が覚えていることを話す。それだけでいい、と」

 「それだけ、か」

 「……先月から、もう一つ頼まれました」と鈴葉は言った。そこで一度、唇を噛んだ。「お嬢様の動きも、報告するように、と」

 部屋の中が、しんと静まった。

 朱音は、何も言わなかった。

 怒りが来なかった。胸の中がすうっと、冷たくなった。怒るよりも先に、全部が繋がっていく感覚が来た。父の書斎への出入り人の情報が外に漏れていた経路がここにある。そして自分の動きも、どこかに筒抜けていた可能性がある。

 「朱音様」と鈴葉は言った。今度は「あかね様」ではなく、幼い頃の呼び方だった。「申し訳ございません。わかっています、許されないことだと。でも兄が——」

 「鈴葉」

 「はい」

 「あなたが報告したことの中に、私が牙嶋の陣へ行くことは含まれているか」

 鈴葉は、はっとした顔をした。

 「……含まれています。昨夜、男が来て、私は……お嬢様が二日に一度、夜に外へ出ていることを、話してしまいました」

 朱音はすぐに立ち上がった。

 「いつ、その男は来た」

 「昨夜の——四つ過ぎです」

 昨夜の四つ過ぎ。朱音が蒼介の幕舎にいた時刻と、ほぼ重なる。

 「その男の行き先を知っているか」

 「砦を出て、北の山道を下ると……」鈴葉は額に手を当てた。「一度だけ、後をつけたことがあります。途中で見失いましたが、北の茶屋の方向へ向かっていました」

 北の茶屋。

 霞廻と牙嶋の領地の、ちょうど中間にある。

 朱音は帯を締め直し、脇差を手に取った。

 「朱音様、どこへ——」

 「鈴葉」と朱音は言った。立ち止まらずに言った。「あなたを、咎める気はない。今は」

 「でも——」

 「ただ一つだけ聞く。これからも、その男に報告するつもりがあるか」

 鈴葉は首を横に振った。激しく、何度も。

 「ありません。もうしません。最初から、するべきではありませんでした。私は、朱音様の——」

 「わかった」と朱音は短く言った。「行ってくる」


 北の茶屋は、山道の途中にある小さな掘立小屋だった。

 かつては旅人が雨宿りに使ったものだが、今は誰も使わず、板壁が腐りかけている。朱音は幼い頃にその前を通ったことがあった。薄暗くて、少し怖かった記憶がある。

 茶屋に近づく前に、朱音は木立の影で足を止めた。

 中に、人の気配があった。

 一人ではない。声が聞こえる。低い声と、もっと低い声。二人、あるいは三人。

 朱音は息を殺し、耳を澄ませた。

 板壁の隙間から、言葉が漏れてきた。

 「……娘が動いている。牙嶋の陣に、複数回入った形跡がある」

 「誰と会っている」

 「おそらく次男だ。蒼介とかいう」

 「あの男か。厄介だな」

 「当主に知らせるか」

 「まだいい。泳がせろ。二人が何を掴もうとしているか、もう少し見極めてから動く」

 低い声が、笑った。

 「いずれにせよ、霞廻の娘も、牙嶋の次男も、俺たちの絵図には邪魔だ。頃合いを見て、始末する」

 朱音は、木の幹に背を当て、動かなかった。

 始末する、という言葉が、夜の空気の中に溶けていった。

 動揺はなかった。あとで、ゆっくり動揺する時間を作ればいい。今は聞くことだけに集中しなければならない。

 「典之進は使えるか」

 「まだ使える。あの男は藩を守ることしか考えていない。そこを握っている限り、言うことを聞く」

 「三年の保証など、守るつもりはないがな」

 また笑い声が来た。今度は複数の、低い笑い声だった。

 朱音の手が、脇差の柄を、きつく握った。

 (父は、騙されている)

 保証など守るつもりはない。三年の後に、霞廻は消される。父はそれを知らずに、娘を危険に晒してまで、この取引を守ろうとしている。

 「お前の主は、いつ動く」

 「春の軍議が終わり次第だ。牙嶋を動かして霞廻を削り、その隙に我らが介入する。両藩が消耗し切った頃合いに、すべてを回収する」

 「見事な絵図だ」

 「言われるまでもない」

 朱音は木立の影から、茶屋の輪郭だけを目で確かめた。

 入り口は一つ。裏に小さな窓がある。中に三人。

 一人で踏み込むには、数が多い。

 それに今は、中で話されていることのほうが大事だ。全部聞く必要がある。

 朱音はそのまま、動かずに聞き続けた。

 夜の山に、梟が鳴いた。


 茶屋の人間たちが散ったのは、夜の七つ(深夜零時過ぎ)を回った頃だった。

 朱音は木立の影で、それをじっと待った。三人の影が別々の方向へ消えるのを見届けてから、茶屋の中へ入った。

 行灯の燃えかすがあった。消したばかりで、まだ油のにおいがした。

 地べたに、一枚の紙が落ちていた。

 朱音は拾い上げ、月明かりにかざした。

 書きかけの文書だった。途中まで書いて、破り捨てようとして——しかし暗がりの中で、落としてしまったのだろう。

 読んだ。

 そこには、朱音がまだ知らなかったことが、一行だけ書かれていた。

 指示を出している「主」の名前が、そこにあった。

 朱音はその名を、三度読んだ。

 一度目は、信じられなかった。

 二度目は、震えた。

 三度目に、ようやく受け入れた。

 紙を懐にしまい、茶屋を出た。

 空が、少しだけ白み始めていた。

 蒼介に、知らせなければならない。

 父に、知らせなければならない。

 そしてその前に——自分がこの名前とどう向き合うか、一人で決めなければならない。

 朱音は山道を下りながら、その名前を頭の中で繰り返した。

 繰り返すたびに、霞廻の霧が、少しずつ晴れていく気がした。

 晴れていく先に何があるかは、まだわからなかった。

 しかし霧が晴れることを、今夜初めて、怖いとは思わなかった。


── 第五章、了

(次章予告:朱音は「主」の名前を携えて蒼介のもとへ向かう。しかし陣の入り口で、予期せぬ者と鉢合わせる——)

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